昭和44年2月13日 朝の御理解
御理解第四十一節『信心は話を聞くだけが能でない。わが心からも練り出すがよい』
此の方の道は祈念祈祷で助かるのではない、話を聞いて助かるとこう。話を聞いて助かるとは、話をより聞くだけでは能ではないということになる。話を聞けば聞くほど、分からして頂けば頂くほど、自分の考え方の間違うておったこと、物の見方の間違ってこと、かく信心のない何十年例えば、の間のお粗末ご無礼を気付かせて頂く。いわゆる分からしてもらう。
だからそれがその、気付かしてもらうとか、分からしてもらうとか聞けば聞くほど有り難いとかという、それだけではいけんと。ね。わが心からも練り出すがよい、とこう、練り出すということ。なかなか練り出すというても、いろいろ工夫する人があります。
それをその、自分の都合の良いように都合の良いように頂いた御理解を解釈していく人がおる。ね。自分に都合の良いように御理解を解釈したり、練り出したりしたんではおかげにならん。ね。ということはやっぱりその、自分というものを中心にして考えるもんですからそういう結果が生まれてくる訳です。ね。
昨日、北野の深町さんの奥さんの姉さんという方が矢部郡のほうに居られます。二・三回前の月次祭の夜に初めてここに御神縁を頂いたわけですけれども、子供さんがまだ小学校でしょうか、にもかかわらずもう大変胃が悪い。もう手術しなければ助からないと。ところがその、私がその事をお願いさせて頂きましたら、手術をしたら助からないように頂くんですよ。医者は手術しにゃ助からないと。私が頂くのは手術すりゃ助からんよ。手術すれば助からないと頂く。これはどうでもひとつ手術せんで済むようなおかげを頂かんならんと思うたから、もうお願いさせて頂いたらある事を頂いた。それはとても皆兄弟やら、達の前でお話を出来ることじゃなかったから、いっぺん、もういっぺんね、出て来て下さい。私の朝で御結界に座っておる時に出て来て、そして私が頂いた事を、医者にかかれともかかぬとも申しませんでした。
それから二・三日してからお母さんとお二人で参って見えられました。それで私、他の方達遠慮してから、私が頂いた事を伝えさして頂きましたら、もうほんとにそれこそ涙ボロボロ流してから「おかげ頂かして下さい」と言うてその、願われるんですよね。まあそれからいろいろその自分でも、いわゆる心で練られた。ところがその、八女郡からここまで参って来るというのですから、北野から毎日その、弟達がお参りをしておるようなわけにはまいりませんと。それでその、まあいろいろやらせて頂かなければならないと言うので、まあいろいろ願って、先日参ってきた時に、私はもう…、ちょうど朝の御祈念に参って来てました。そしてそん時に、そんな御理解をまあ頂いて気付かせて頂いたんでしょうけれどもね。確かに、あん時は…うーん、一心を出さなければということでした。ね。
そういう事を頂いてから、此の方は非常にこの甘い物が好き。ですからその、子供の為に甘いものを絶って、ひとつお縋がりをする、とこういうことである。そんなことを神様から頂いたそのことも自分の心の中に思えたることでございますから、そのこともまた改まっていく事に、まあ努められることは間違いないでしょう。そらよか事に気付かれたですね。やっぱりあの、修行さしてもらいますよね。甘いものが好きな時に甘いものが前に出てくる。そん時にもう手が、例えば、飛ぶようにその甘い物に行こうとするところを「金光様 金光様」で、そのそれを頂かないということは大変な修行でしょうけれども、子供の命を助けて頂く為には、うーん。「それも先生、一生というわけにはまいりませんから、子供の病気が良くなるまで」と、こう言われる。「うんそれもいいでしょう、ならそのことをお取次ぎさせていただきましょう」と言うて帰られたらね、その日から胃が痛まんようになったんですよ。昨日お礼に出て来られた。親子で。ね。
ですから、まあ私は医者にかかれともかかるなとも言ってないのです。けれども「先生、この前は本人も医者にかかって手術するということを大変嫌うとりますし、私どももあんまり好かん」と、こう言われる。「そんなら止めなさい」と、私、初めて昨日申しました。そして、一心に縋んなさい。ね。これなんかは、まあちょっと練ったわけなんですね。話を聞いて、練って、そして絶ちもののひとつをしようかと、こういう気持ちになったんです。ね。
ところがです、ね、私はここで思わしてもらう事は、本当の信心を私どもが分からしてもらうというかね、わが心からも練り出すがよいと仰るから、そういうふうにまあ、資本的な方達がまあ何かその、おー、ね、《茶断ち塩断ち》といったようなことを昔から申しますから、そういうようなものでも断ってでも神様に縋る、そこにひとつの一心が立つことは立つ。ところがなら金光様のご信心というのはね、それだけではいけないということなんです。ね。だからどういうところに工夫をしなければならないかと。
あのように甘い物が好きだったのが、子供の良くなるように良くなるまで甘い物を断たしてもらうというて、修行させてもらいよったら甘い物が、それがどうでもよいごとなったというおかげであったり、そら子供が病気が治ったというだけではね、いけない。
私は、今朝から御祈念の時に頂きますこと「はー、これが今日の御理解だな」というのは、狙っても狙ってもおかげにならん。「願う」じゃない「狙う」。ね。おかげを狙う。おかげの焦点、こういうおかげを頂きたいと狙って、そこに的を定めて信心をすと、こういうのです。ね。この病気を治してもらいたい。ここんところにこれこれの金銭のお繰り合わせを頂きたい。そこんところを狙ってもね、その、狙っても狙いがそれる、当たらないというか。
そして、あの、親鸞上人様の絵ときの中に、あの、弁円という山伏が親鸞上人様を、その命を狙う図がございます。その絵のところを頂く。で、子供の時から、地から説明を聞いてるから知ってるんです。ね。一晩中、今日は上人様がこの山道をお帰りになるんだということが分かっとりますから、上人様の一行を狙うわけですけれども、ね。確かに山の板垣に上人様たちの一行、念仏の声が聞こえるからと思うて上に昇ると、谷間のほうへ聞こえる。谷間のほうに下りてみると、もう山の板垣のほうを通っておられるのであろう念仏の声が耳に聞こえる。とうとう広々ともう夜が明けてきた。時に、弁円が感じた事なんです。「これはもう親鸞上人様という御方は、大変な御徳を持った御方だと。大変な御方だ」と。「世に生き仏様というが、確かに生き仏様に違いはない」と言うので、自分の思いを捨てて、その事を詫びて親鸞の弟子入りを願うのです。
狙っても狙っても狙いが届かなかった。そこに上人様のお弟子にと願わしてもろうた。ね。それから修験道から仏道への転換がなされて、それから一生懸命仏の道を治めさせて頂いて、それから十年か幾年か経った時に、ね、ある日、上人様のお帰りが遅いからお迎えに出た。ね。それが十何年前、ちょうど弁円が上人様を狙ったその山道に辿った時に、詩を詠っとりますですね。《野も山も 今も昔も 変わらねど 変わり果てたる わが心かな》ね。野も山も今も昔も変わらねど変わり果てたるわが心かなと。人の命を狙おうとまでした自分がです、仏の道に精進させて頂いて十幾年。今、師匠親鸞をお迎えに出ておる自分の心。変わり果てたことにもう驚き入ってしまっておる。ようもこんなにも変われてたものだというその、弁円の心境といいましょうかね、心の進展とでも申しましょうか。
私は、その事を頂いてから思うのです。ね。話をを聞いて助かるという道である。けれども、話を聞くだけではいけない。ね。話を聞いたら助からなければいけん。為には、話を聞くだけが能ではない、わが心からも練り出せと仰せられる。なら、練り出すならばです、自分中心の練りだし方じゃなくて、ね、自分というのが中心ではなくて、ね、神様の願いを中心にした練り方でなからなければいけないということである。
自分の都合のよいように、できるだけおろまえって、できるだけ御用やらは少しばっかりしてから、そしておかげの方だけは大きく狙っておってもです、そういうなら、工夫の仕方がないじゃないです。あります。月にはもう一ぺんしか参ってこん。そしていろいろに非常に練って練って練り上げるですこの人は。なるほど話を聞けば、ある意味で素晴らしいことを言うです。ね。
例えば、これで一生よし、おかげを頂き続けたところでです、はたしてね、ほんとに金光教的おかげというか、ね、いわゆる神も喜び氏子も立ち行き金光大神も喜びじゃというような、私はおかげになっているだろうかと。ややもすると、自分を中心にして、結局何がそう彼をさせるかと言うと、結局はやはり我情我欲なんだと。ね。ですから、その我情我欲なりにおかげを受けるおかげがどの程度のものかということが、私は分からなければならない。
そこで私どもは、まあぎこちないながらもです、神の願いを願いとして、神様の願いを中心にして、神様の思いを中心にして、まあいうならば教会の生き方、親先生の信心の進め方を中心にして、そこを基点にして練られたものでなからなければほんなこっちゃない。ね。
例えてですよ、昨日、私お取り次ぎさせて頂いた、甘い物を断たせて頂くというだけでも、一心が立つのだから、それで、こんな遠いからまあしげしげとはお参りが出来ませんから、けれどもまあ、子供の命の事じゃけえしげしげ参ってこにゃと言うても、信心がまだ、ようやく三回か四回かしか参ったことがない人に言うたって分かりません。ね。それで私は申しました。あんたが日に幾らがた甘いもの食べよったか知らんけれど、ね、その幾ら幾らが貯まったら、ね、それを旅費にしてお参りをしておいでと、私言いました。ね。ここんところからですね、少し自分を中心にした信心から、少し神様を中心にした信心に、こう、変わることが出来るんですよ。ね。
甘い物を断った一心、親の一心で子供の事を願う。ね。なるほど一心を立てる。欲しいなあと思う心で「金光様」と、願うのですからやはり一心が立つ。けれども、それではただ自分がお菓子代が儲かったというだけじゃないか。その残ったなら、その残ったお菓子代をもってお参りの費用ともさせて貰おう。お初穂ともさせて貰おう。ね。ここまで思いをもう一ぺん練り直しますと、その練り方はね、やや神様の方へ向かった練り方になるのです。
ただ、歯を食いしばって好きな物を我慢しておるというのを見て、親が喜ぶはずはないですね。神様が喜ぶはずはないです。ね。そういう思いをしてでも、捨て晒してもらう。ね。そういう思いをしてでも、ね。
遠賀の日吉先生のところはですね、今、あちらの一番の初代の先生はそうであった。もう無学の方だった。おばあさんです。ある難渋な病気で小倉に御神縁を頂かれたのが初めて。ね。気象何もない時ですから、あの、あちらの遠賀郡の方からですね、小倉へ歩いてお参りになられた。それこそ毎日しげしげという訳にはいけませんし、またはお舅さんや、まあ主人の手前もありますから、ね、毎日毎日自分の食べられるお米の中からお茶碗を一杯づつ節食をされたんです。ね。それを貯められた。ね。それがちょうど一合づつだったらしいですよね。二合半食べる米をです、例えば一合五勺頂いて、一合は神様へと積まれた。それが一升貯まるのを楽しみに、はー、もう今日がちょうど十日になるだろうというにで、一升のお米を持ってからお参りされた。
そういうお参りが続いておるある日、桂先生がそのお取次ぎをされてから神様へ御届けをされると、「日吉ツル真の信心になった」と、御裁伝があった。ね。一生懸命素朴なその、思いですけれどもそれが真心。それが真だ。日吉ツル真の信心になったと。これからはね、「千人の神に立ててやる」と仰った。ね。
だんだん日吉先生がそういう信心をなされると、ご自分の体の上には、その、はっきりしたことはできなかったけれども、その方の話を聞いて人が助かるようになった。そして、あそこ、今の教会のところへ公社が出来た。ね。まあ今ここでいうなら福岡支部とか久留米支部とかといったようなものですよ。そこへ人が集まって、その日吉先生の話を聞くことを楽しみに、そこにひとつの集いがそのできるようになった。ね。すて、本当に千人の神に立たせてもらえるようなお徳を受けられた。ね。
これは、日吉先生が無学ではあるけれども、いろいろに練られたんです。ね。ただね、もう今まで三杯の御飯ば二杯にしてから「どうぞ助けて下さい」だけじゃなかったわけなんです。ね。なるほどそれでも一心は立つでしょう。ひもじい時に「金光様」を唱えるんですから。けれども、自分が節食したものを一合づつ貯めあげて、それが一升貯まったらお参りをさせて頂こうとされる、そこに「日吉ツル真の信心になった」ということになるのじゃないでしょうか。それが金光様のご信心なんです。練り出すというても、そういうふうな練りだし方がです出来なければならない。
今日は、十三日会。ね。神様の願いが成就する日とさえいわれる日、ここでは。ね。ですからせめて今日という日は、神様の願いに応え奉らしてもらえる一日でありたいとして、皆が十三日会に集うて信心の共励をなさる。いわゆる神の願いを中心にしての練り方でなからなければいけない。話を聞いて助かる道。というてなら、話を聞きただけで助かるのじゃあない。話を聞いたら聞くばかりが今度は能ではない、わが心からも練り出せと、こう。ね。
そこで様々に練ってもきましたけれども、様々に信心の工夫もしましたけれども、狙いがそれていく。ほんとのおかげになっていかない、ならば弁円じゃないけれども、変わり果てたるわが心かなと、自分で自分の心が拝めるくらいにです、自分というのを本気で見極めなければならんのじゃなかろうかと私は思う。
そのことをまた、私お願いさせて頂きよりましたら、あの、不動明王ですね、不動明王がもう真っ赤に燃え盛る火の中に立っておられるところを、いわゆる不動様の立ち姿ですよね。それを拝ましてもらうんです。ね。右手には剣を持ち、左手には縄を持って、そして足には、あの、小さい鬼のようなのを、こう踏んまえて、そして火の中へ、こう、立っておられるのがお不動様の立ち姿です。
ほんとにこの、変わり果てたるわが心かもと、こういわれる変わり果てるためには、このくらいな修行が要るな、でなかったら、不動の信念というものは生まれてこないんだなと、私は思うた。あの剣というのは、あの縄というのは、ね、人をくくるのでもなからなければ人を殺すのでもない。ね、と、私はまあ思うんです、じつは不動さんの意味は分からんけれども。ね。
私は、下にこう踏んまえておる鬼のようなのは、自分の心の中にある、先日頂く夜叉のようなもの。いわゆるめぐりを踏んまえて、そして心のいわば断ちがたいものを断たせて頂いて、ね。剣がそれを断たしてもろうて。そして自分を限りなく不自由なところに置くということを私は思うた。はー、私は今日からいっちょご結界の奉仕、ここがまあ私がくくられているようなものですから、ここんところをまちっと工夫しないけんなと今日思うたんです。
もう勤める時間が終わったら、はあやれやれ、さあお茶頂くとが楽しみといったようなこじゃあ、これはいけんなと。ね。いわばこの縄を持って、ある意味で自分をがんじがらめにくくらしてもらえる私にならなければならない。ね。自分というものを自由に、心だけは自由自在に使われてもです、自分のこの体というもの、自分の例えば、我情我欲というものだけはです、くくらなければ駄目だ。がんじがらめに。ね。「こういう事はいたしません」「こういう事はもう言いません」と、例えば、そういうしたり言うたりする事がです、神様の機感に適わないようなことがあるなら、それをくくらなでけん。「こんな事はけっして言いません」「ひとにこり積ませるようなことは言いません」「人の心を傷つけるようなことは言いません」「こういう事をして人に迷惑がかかるなら、こういう事はもう致しません」と、神様に誓うのは、私は、その自分の持っておる縄で自分をくくるようなものだと思うです。ね。
そこからですね、私は生まれて来るのは、いわゆる不動の信念。ね。いわゆる不壊の心。どのような場合でも壊れない心。そこまで行かなければね、私は、変わり果てるということは出来んと思うですね、人間は。ね。例えば、だからお参りをさせて頂く時間というのが、ああた方は自分で自分を縛っておられるわけなんです。ですから、他のことは出来ないでしょう。お参りに専念するより他にないです。ね。
例えば、なら私が、朝にこうやって御用さしてもろうて十二時までは、自分というものを縛ってあるのですから、自分の自由にならない。寝らないから私おかげ頂いてる。ね。そして最近は、あの、四時の御祈念がございますから、さあ四時の御祈念まではどうすることも出来ない、私は。四時の御祈念がありますから。ね。これは、私は自分で縛ってあるわけなんです。けれども、例えば四時の御祈念をさせて頂いて思うことは、どうしてこげな有り難い御祈念を今まで放っとったじゃろうかと思うくらいなんです。ね。これは私は自分で縛ったわけです。
そして縛ってみて分かることは、こげな有り難いことを窮屈なごとあるけれども、この窮屈な中にこげな有り難いものを、どうして今まで気付かなかったじゃろうかと、私が今思うとります。ね。五時の御祈念から四時の御祈念になった時もそれを、これもういよいよその思いを深くするばっかりです。朝の四時の御祈念ちゃもう、なんちゅう有り難い御祈念じゃろうかと、こう思う。こういう御祈念をもう十何年間も、自分にはもう出来んもんのように思うておったことが惜しいぐらいにある。ね。これは自分で自分をくくったわけです。ね。そこから生まれてくるもの、それが私はどのような場合でも、不動。どのような場合でも動かんで済む、ね、信念が培われてくるんだと、私は思うのです。
自分を楽な、例えば、わが心からも練り出せと言われるから、自分を楽な方へ楽な方へと持っていくといったような生き方ではね、これはもう絶対、ね、金光教的おかげにはなっていかない。ね。ややもすると、自分を中心にして練りますとです、そういう結果になります。そこでね、神様の願いを中心としての練り方。そこへ焦点を置いての練り方になりませんと間違えます。けれども初心の人は、やはりそれでも工夫をしておられるのですから、ね。はー、それは結構です。一心に縋りなさいと、こう言いますけれども、その先には少しばっかりこちらの方へ神様に向けさせる心を、私教導しております。ね。
甘いもの断っただけじゃいけませんよと。ね。日に百円づつの、例えば甘い物を食べておられたなら、百円づつを積み上げてね、例えば千円も出来りゃ、例えばハイヤーで来たっちゃ良かろうと、私は思う。ね。その中からお初穂も捻出することもできる。ね。ただ、甘い物を断っただけじゃいけませんよと。そこに、もういっちょ工夫しなければいけませんよということに、まあ申しておりますよにですね。
そこんところ皆さん工夫なさって、ね、神様の願いに応えられる練り方。ね。いわゆる、自分を空しゅうするというかね、自分を無くする為のそういう稽古が。ほんとに話を聞いておると酷なようにありますけれども、実際そのことの修行を本気で填まらして頂きますと、こういう有り難い修行をどうして思い立たじゃったじゃろうかということはあります。 どうぞ。
入力者 末永 清和